1%のやらかしに声は届かないけどって話
多分このブログを開いてくれた人はまっとうに正しくオタクをしている方なのでしょう。推しと自分の間には明確に線があって、そこを超えてはいけないことを理解している人。
精神性という言葉があります。
分野や学者によっていろいろな定義がありますが、私が学んでいる分野では「目に見えないもの、自分達より強い存在に対する憧れ」と定義されています。
具体を超えた世界、人間の力を超えた存在を信じようとするエネルギーが人間には誰にでも備わっているそうです。
宗教的なことだけじゃなく、「愛」とか「平和」とか目に見えないものを信じることも当てはまるそうです。「これが愛です」と物体として示すことはできないけど、この人に愛されている、私はこの人を愛していると確かに感じることができます。
「お父さんとお母さんが長生きしますように」「今日もあの人が無事に家に帰ってくるからご飯を作って待っていよう」みたいに手の届かないもの、そして過去と未来を信じることができることは人間だけにある特徴です。
推しがいる人はそんな具体を超えたものを信じられる素敵な人だと思っています。
「自担が頑張ってるから私も頑張ろう」「人生いいことないけどライブがあるからまだ死ぬわけには行かない」「推しがいてくれるだけで幸せ」
自分たちが歌って踊る姿を見た人間が幸せになることが推しの望みなら私もそうなりたい。
貴方は私のことなんて知らないだろうけど、私はあなたのおかげで今こうして生きられていて、そこに確かな愛を感じる。そうやって手の届かないアイドルと自分の間にあるかすかなつながりを信じることがアイドルオタクの精神性なんじゃないかな、となんとなく思っています。
これは強要されて思うものじゃなく、ほとんどのアイドルオタクが思っていることではないでしょうか。アイドルと宗教はすごく近いなと常々感じます。
最近はアイドルとファンの距離がすごく近い時代になりました。YouTubeも、アイランドTVも、インスタも、アイドルがまるで自分の疑似恋人であるかのような錯覚にいざないます。嬉しい反面危険なこともあるのかなと感じざるを得なくなっている今日この頃です。
私は会いに行けるアイドルのオタクをしていたこともあるけど、とっくに存在してるアイドルとファンの間にあるつながりを信じられない人間が、いわゆるやらかしになってたのかなとか、必死に自分は特別ってマウントとってるのかなとか考えさせられます。
会えれば繋がれるわけじゃない。認知されることが繋がりじゃない。そうやって無理矢理作った繋がりは向こう側から断ち切られてしまうよ。
彼らはプロだし商品だけど、神様ではなく人格のある一人の人間なので。
誰か一人のために、ましてや自分を不幸にするお前のために必死でアイドルしているわけじゃない。
自分一人を喜ばせてくれる特別な存在がほしいなら風俗でも恋人でも自分に合った相手を探せばいいよ。
アイドルは天使だから人間が触れちゃいけない人種なことを思い出して。
99%のオタクはそんなこととっくに分かってる。でも1%の人はきっとずっと変わらない。だって孤独だから。
私が何か間違ったことをしそうになった時、そこには殴ってでも止めてくれる人がいつでもいました。人生に失敗はない、あるのは誤りの訂正のみ。私の大好きな言葉です。
でも1%の人にはそうやって止めてくれる人がいない。親切な人が止めてくれた時にヒステリックにわめいたり、自由を勘違いして「私のことに首を突っ込むな」をはねのけた。結果周りに人がいない。気の毒なことだと思います。
そんな人に私の声なんか届かないのが事実。
でも祈ります。
1%の人がもう誰も傷つけないように。
そして推しが誰にも傷付けられないように。だって推しは私にとって最高のアイドルでいてくれる、祈るに値する人だから。
トップアイドルでありながらファンに苦言をこぼしたあの方も、きっと祈るような気持ちであのブログを書いたのかなと思っています。
そんな素敵な人の幸せを祈れないほど推しに価値を感じないのないのならその人推すのなんて辞めてしまえばいいのに。私たちには祈る先を選ぶ自由がありますから。
付かず離れず、でも確かに自分の生活に明るい光を落としてくれている。そんな推しの存在を信じて祈り続けるオタクでありたいと思っています。
ハッピーオタクライフ!!