世の中に悪い人はいない

若くて顔のいい男の生気を吸って生きる魔女が理性ゼロで書いてる。

17番サクマ少年の行動観察記録と考察~舞台『少年たち あの空を見上げて』~

 

 

※筆者は3-6歳対象の某発達心理学を学んだ人間であるため、青年期の行動特徴の捉えにずれがある可能性があります。あくまで遊びとしてお楽しみください。

※役柄「サクマ」についての詳細なネタバレを含みます。

 

筆者がこの観察記録をつけようと思い立った同機は、一年前公演された舞台『少年たち 君にこの歌を』の公演を通して最も気になる子どもだったのがサクマ少年だったからだ。私が学んでいる発達心理学においては子どもの望ましい発達の援助のために子ども自身の「自己選択」が要点とされている。その面において、サクマ少年がまさに「自己選択を奪われた子どもの象徴」として描かれていると感じ、自己選択を奪われたまま青年期を生きた少年の姿を記録、考察することで筆者自身の知的好奇心を満足させたく、本記事の執筆に至った。

あくまでも時間軸に跳躍があったり演出上で行動に制限があったりする舞台上の人物の行動観察記録ということで、実際の行動観察のように詳細な記録になっていないことをご理解いただきたい。また、すべての考察はあくまで筆者の妄想であり強い先入観故に不快感を感じる可能性があることも留意いただき、自己責任で閲覧いただきたい。

 

〇オープニング~『俺たちは上等』まで

・「盗まれる方が悪いんだよ」の発言

考察:大人に対し自分の罪を認めない態度をとり続けている。

 

・両手を下げてゆっくりと力のない歩き方をしていることが多い。

考察:環境のなかにしたいことがない。無気力感。

 

・赤房の少年と青房の少年で争いがおこりかける。若い看守が止めに入ると暴力は止んだが、少年たちは反抗的な態度を崩さない。サクマ少年はすぐに看守から距離をとり、しばし発言がなかったがガリ少年の後に続き、「看守長の飼い犬だしな」と発言する。

考察:自分が先頭に立って反抗的な態度をとることはないが、周囲の少年が反抗すると気が大きくなって引っ張られやすい。

 

・『俺たちは上等』にて「盗んでない借りただけさ百年先会ったら返す」

考察:自分の行いを正当化して責任から逃れようとする態度。

 

・再び赤房の少年たちとの争いがおこりかけると看守長が入室。看守長から目を逸らし、頭をかきながら後方に退く。看守長の威圧的な態度を見て棒立ちのまま動かず、目を逸らすこともできない。ウキショ少年が看守長に暴力を受けるとわずかに後方に後ずさる姿があった。

考察:看守長に対しては強い恐怖心を持っており、若い看守の時とは態度を変えている。身体の硬直が見られ、晩飯抜きと看守長に言い渡されても俯くのみで反抗する態度は見られず、大人からの抑圧に対する諦めがうかがえる。

 

〇『嗚呼思春期』

・青房の少年たちがそれぞれ離れた場所に立って会話しているが、誰かの意見に同意する少年はなく、言い争っているようにも見える。

サクマ少年「人に理解されないのなんか当り前さ。エリートになる(記録不備)そんなもの、受験の失敗で粉々さ」

「まともってなんだよ、お前(ハシモト少年)はまともなのかよ」「みんな分かってねえんだ。人にはそれぞれの器ってもんがある。なのに親は期待する」

考察:青房の少年たちは赤房の少年たちよりも単独行動を好み、親しく関わる姿が少ないように感じる。サクマ少年には過去に両親の期待に応えたい思いがあった一方で、本人にとって大きすぎると感じるプレッシャーをかけられていたことが発言から示唆される。また、両親に自分の思いを理解してもらえないというよりどころのない心理状況であったことがうかがえ、「落伍者のレッテルを貼られる(タカハシ少年の発言より)」現在の状況に、自分はまともな人間ではないという認識を持っており、過去に両親に示された将来像とのギャップに無力感を感じている可能性がある。自己肯定感の低さが心配される。

 

・『嗚呼思春期』より「俺たちの叫び、聞こえてんのかよ」と強い語調で訴える姿。

考察:自分の思いを誰か(主に両親ないし周囲の大人か)に効いてほしい思いがある一方で、サクマ少年本人から周囲の大人や少年に自分の心理について話す姿は見られなかった。両親と主に過ごしていた時期、そして少年院で過ごす時期でサクマ少年の思いを傾聴してくれる大人の存在がなく、本音を飲み込む癖がついてしまったのではないか。イノウエ少年、タカハシ少年、イガリ少年が自分の感情をあらわにして歌唱している一方で、ハシモト少年とサクマ少年には静のイメージがあり、感情をあらわにしたのは上記の発言の時のみであった。

 

〇掃除の場面

・サクマ少年、右手に持ったほうきを蹴りながら掃除場所にくる。

考察:奉仕の精神は養われていない。看守から非人間的な扱いを受ける環境的な要因が大きいか。

 

・赤房の少年と青房の少年が争うのを見て近寄り、争いに参加するが、フジイ少年を軽くからかうように押し、ウキショ少年と掴みあうだけで殴る蹴るなど相手を明確に傷つける行為はなかった。「頭の悪いやつとは付き合いきれねえな」

考察:サクマ少年は主体となって相手に暴行を加えるタイプの少年ではないのではないか。反抗する、暴行することで自分にやり返しが来るのを恐れているのか、フジイ少年を押してすぐに距離をとる姿も見られた。反抗すると看守からやり返される環境が少年院内にあることも要因か。しかし少年院の平均収容期間は1年前後と比較的短期間であることから、収容以前から家庭内でサクマ少年が勉学の結果や自己主張の結果として肉体的ないし精神的な罰を受けていた可能性も視野に入れる必要がある。発言から自分の腕っぷしに自信があるのではなく、しかし他者より優位に立ちたい、ないし優位に立っているという自覚を持ちたいという虚栄心を感じる。

 

※看守長について、因縁のあるタカハシ少年とイワサキ少年を会わせて意図的に争いを仕向ける、イワサキ少年の荷物を無断であさる、大声で威圧する、弱みを利用する、時に過剰なほど甘い態度で接して不安をあおるなど少年たちに対し非受容的で身体的虐待、精神的虐待ととれる対応が繰り返されている。少年たちを支配して自分の意のままに操作することを楽しんでいる様子がうかがえる。

赤房と青房が争う構図は、抑圧された少年たちが憂さ晴らしのために暴力に走りたがる需要と一致しており、看守長の策略によるものと考えられる、

 

〇サクマ少年、ウキショ少年の構成プログラム

・席を立ってウキショ少年と争う。「粋がってんじゃねえぞ」とウキショ少年を押す。「馬鹿かお前は。犯罪者の烙印を押された俺らがまともな職につくのなんか不可能だ」若い看守に着席を命じられ、脚を広げて背もたれにもたれた崩れた姿勢で貧乏ゆすりをする。

考察:自分の将来に対して悲観的で、構成プログラムに意味を見出していない。看守から「反省の言葉が出ないと(構成プログラムが)おわらない」という発言があり、少年の内面からの反省を促すのではなく反省を強要するプログラムとなっている。正しい更生を促す活動とはいいがたい。

 

・看守に罪状を告白するよう促され「俺は窃盗」「(きっかけは)高校受験の失敗かな。俺は周りのやつより少しだけ勉強ができた。親は医者か弁護士にしようとしてたけど」「親父の大学Fランだよ。しがないサラリーマンの息子がエリートなんかなれるわけがないだろ」「受験に失敗して親に見放され、勉強がばかばかしくなって不良グループに入ったのが運のツキ」

考察:どこで自分がつまづいたのか自己分析ができている。一方で、自分の心情を話すことはなく、どこか他人事のように話し、努力よりも生まれや周囲の環境を自己実現のために必要な要素と捉えている節がある。自分に自己実現の力があると思っておらず、無力感を感じている。罪状は窃盗だが、少年院に収容されている時点で万引きよりも重大な窃盗に加担した可能性がある。不良グループに「入った」という発言とサクマ少年の様子より、不良グループでもリーダー的役割は担っておらず、自分よりも強い存在に言われるがままに犯行に及んだ可能性が考えられる。

 

・ウキショ少年が自分の罪状を話している間、薄く笑う、身体を前に倒す、姿勢を繰り返し変える姿があった。

考察:集中の短さと、軽度の座位の維持困難が見られる。日常的な虐待を受けて身体的なダメージを受けている可能性が高く、医療機関との接続も検討する必要がある。

 

・看守に自らの罪を向き合うつもりはあるかと尋ねられ、「罪と向き合う?冗談だろ。俺がこうなったのは親のせいだ。俺は悪くねえ」

考察:罪を犯したのは自分の責任という意識がない、つまり親の選択に従い続けて自己選択しなかったために自分で責任を負うという意識が芽生えていない可能性がある。本来幼少期から用意してあるべき自己選択の機会がサクマ少年にはなく、高校受験にあたっても自分の意志を表示しなかったか、意見の主張が許されない状況にあった可能性がある。サクマ少年の両親がサクマ少年の幼い時から親の意思をサクマ少年に押し付け、サクマ少年自身の選択の機会を奪い続けていたとしたら、本来自分の意志を主張して親から自立したがる年齢である青年期においても親への依存度が高い精神状態にあったことが考えられる。

 

・ウキショ少年の罪を償ってまともな職に就きたいという願いを聞き「分からねえ奴だな、無理だっつってんだろ」と立ち上がる。

考察:ウキショ少年に対する怒りが見受けられる。自分で自分の進路を選択できるウキショ少年に対する羨望ないしいら立ちか。

 

・懲罰房に一週間の収容を言い渡され、ウキショ少年と同時に「一週間?ふざけんなくそ野郎、覚えてやがれ」と発言。その後「……なんか、妙にあったな」

考察:ウキショ少年に対しわずかながら同朋意識が芽生えているのではないか。

この後カナサシ少年と両チームの少年たちの交流の様子が描かれるが、サクマ少年の姿が見られなかった。ハシモト少年とナス少年、イノウエ少年とイガリ少年などほかの少年たち同士で自然な交流があるなかで、サクマ少年の友好関係は少年たちの中で特に閉じていて、自分の思いを話す相手がいない可能性がある。

 

〇バスケットボールの場面

※少年たちのバスケットボールが一般の子どもたちのエンターテイメントとして楽しまれ、かつ減刑が噂されている。少年たちの社会にでる機会になっていながらも翻弄する道具になっていないか心配される。

 

・サクマ少年は11人連続ダンクシュートでラストの大役を任されるなど身体能力に強みがある。

考察:他者に認められる機会がある。

 

〇脱獄計画の場面

・看守長の暴力を見て立ちすくみ、顔が強張る。イノウエ少年の弟の容体を聞き看守長に対し「ちょっと待ってくれ、作業なんかしてる場合じゃないだろ」と主張しつつも看守長の威圧的な態度を受けると後方に下がるようにし、常にほかの少年たちが看守長との壁になる位置に立っている。

考察:「返事はハイのみ」という看守長の発言から少年たちに自己主張、自己選択を許さない環境がうかがえる。看守長に対する強い恐怖心がある。他者のために自分が主張することはできるが、自分の希望を話すことはない。看守長が去った後に少年たちが感情をあらわにして嘆き憤る場面でもサクマ少年は後方でうなだれるだけで感情をあらわにすることはなかった。

 

〇脱獄計画実行の場面

・タカハシ少年に対する疑念の発言を受け「ユウトがそんなことするわけないだろ」と発言。フジイ少年と共にタカハシ少年に指示されていた鍵を奪う役割につき、トランシーバーを手にした際は率先して他の少年たちの安全を確認。その後フジイ少年が全体指示役を名乗り出たため、サクマ少年が館内のルート案内を行った。

考察:同じく収容されている少年たちへの信頼をもっており、集団の中で自分の役割を見つけて動く力もある。俯瞰的な目線を持つことができる。

逃走の際はカナサシ少年の背中に手を置くなど気遣う様子が見られた。逃走の際はほとんどつねに集団の後方からついていっている。

 

〇脱獄と逃走、そして少年院に戻る

・金指の死に際して、一度も涙を見せることはなかった。

 

・カナサシの日記より「サクマ君に勉強を教わった。サクマ君は何でも知っていてすごい。もっと教えてもらおう」

考察・かつて勉学で親の期待に応えられなかったサクマ少年が、カナサシ少年に勉強面で頼られたことはありのままのサクマ少年が受容された経験だったのではないか。この日記がカナサシ少年と他の少年たちが親交を深めた時期にあたる出来事だとすれば、構成プログラム以前のサクマ少年よりもバスケットボール以降のサクマ少年の方が他者を気遣い、他者のために行動する姿が現れたことも納得がいく。将来の自分に期待されるのではなく、今ここにいる自分自身が認められたことでサクマ少年の自信や自己肯定感につながり、他者のために行動する意思が生まれたのではないだろうか。

 

〇最後に

サクマ少年「俺は親の期待に応えることができなかった。これからのことは、俺自身で考えるよ」

考察:家庭において、そして少年院において、自己を肯定し、自己選択し、選択の結果に伴う責任を負うという発達のために必要な経験を奪われたサクマ少年には自己を受容し、肯定してくれる存在が必要だった。カナサシ少年との出会いはサクマ少年に等身大の自分が受け止められる安心感を与え、今ある自分の力を信じて歩みだす勇気を与えたのではないだろうか。親の示した道標に沿って歩くことに疑いをもたなかったがゆえに自己選択の経験が少ないサクマ少年は、出所後に自分のしたいことを見つけることに苦労するかもしれない。看守長が変わった後、この少年院で少年たち一人一人が認められ、自ら更生しようとし、選択の機会が与えられる場所になればいいと願っている。

空虚な自信を盾に他人を見下しているようにも見えるサクマ少年だが、実際は自信がなく、他者を傷つけることを好まない優しい青年だと私は思っている。サクマ少年が本来持つ優しさや勤勉さを失わず、サクマ少年らしく発達していくことを信じている。

「どんな環境でも生きていく若者たち」と最後の挨拶で語られていた。幼い子供ほど脳の可塑性が高く、生き延びるために、自己を完成させるためにどんな環境にも適応する。日本に生まれれば日本語を習得し、戦地に生まれた子どもも銃弾を避けながら遊ぶことでなんとか発達しようとする。そこに遺伝的な要素はほとんど関与せず、子ども自身の伸びようとする力が周囲の環境を取り込んで適応していく。限りなく大人に近づいている少年たちも、変わりゆく社会で必死にもがきながら自己実現を果たしていくことだろう。

舞台上では描かれなかったサクマ少年、そして少年たちの晴れやかな未来に思いを馳せながら、記事を終わりたいと思う。

 

 

 

 

橋本担より